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滋賀県日野町の面白い処、楽しい時を紹介、そして私の絵日記
滋賀県日野町の古い歴史や豊かな伝統文化、お祭りや、楽しい出来事などを紹介します。私の町おこしの活動や、趣味の遊びも綴ります。

プロフィール

日渓楽生

Author:日渓楽生
滋賀県の琵琶湖の東、鈴鹿山系にある「綿向山」を仰ぎ見る一帯を日野渓(ひのだに)と言います。美しい自然とともに、歴史や文化の豊かな町や村が広がっています。私はここ日野の暮らしを、多くの人に知ってほしいと思います。そして、この町がもっと楽しく、面白くなるようにと願っています。



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自分のルーツ

仏壇の引き出しに、おじいさんの書いた記録がありました。
読めませんが、すらすらと筆で書かれています。
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昔兄が「自分史」書くときに、誰かに楷書で書き直してもらったようで、
おじいさんやおお爺さんのことがわかりました。
私の本家は、江戸屋という屋号の家です。5代目江戸屋は佐兵衛で
す。6代目は、治兵衛です。6代目の次男が兵吉で、私のおじいさん
です。群馬県の桐生にある矢野商店の番頭でした。定年になり日野
に帰ってきて明治45年7月1日に呉服屋をはじめました。自分の手持
ち資金は2800円しかなかったので2・3人に借金しました。その後商
売は順調だったようで、「無病達者ニ勤事出来ル者 神仏の御蔭と
深ク相憶え候・・・・・」と書かれてあります。昭和3年に67歳で亡くなっ
ています。
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呉服屋は兵吉の次男忠二が引継ぎましたが、その息子の私はサラリ
ーマンをしましたので、平成3年に閉店しています。
日野商人のことあまりご存知ない方には、何で遠い群馬県で働いて
いたの?と思われますでしょう。日野の商人は、江戸時代から中山道
沿いの各町や関東の各町に進出して、成功をおさめ、いくつもの店舗
を持って商いをしていました。日野の人達は、親せき等縁続きの日野
商人のお店に勤めました。
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私のおじいさんも、日野商人の矢野文左衛門の経営する桐生の矢野
呉服店に勤めてたとあり、「石井清吉殿支配の元、関谷信次郎、大澤
達次郎・・・」といずれも日野出身の親戚関係にあたると思われる名前
が記載されています。

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会津若松のんびり旅i

10月4・5・6日と会津若松に行ってきまし

た。

幼馴染7人の「爺々と婆々の、のんびり旅行」

です。


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もう一つの目的は、15年前に日野椀を復興するために、
会津塗(蒲生氏郷が会津の領主になった時代に、日野の
木地氏や漆器職人が会津にわたって漆器造りを産業化し
たもの)に携わる方にご協力とご指南をいただこうと、突
然に訪ねたにもかかわらず、2軒の漆器店のご主人に大
変協力的な対応をいただきました。
「日野の方なら応援しますよ」との大変ありがたい言葉を
いただいたのです。
その時のお礼をお伝えすることが今回の旅行の目的の
一つです。


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運よく、お二人のご主人に出会えて、お礼と人日野椀の
復興のことをお伝えしてきました。そのお二人とは、漆器
工房「鈴武」さんの社長と鈴木屋利兵衛の女性店主です。
いずれも当時のことよく覚えておられて快く迎えていただ
きました。


会津若松のお城や、白虎隊が自刃した飯盛山、家老の
武家屋敷跡そして蒲生氏郷のお墓など巡りました。

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地元の観光ガイドさんに案内していただきましたが、大変
よく勉強されておられて、蒲生氏郷のこと私どもよりもよく
ご存じでした。

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氏郷の生れた町の日野の団体を案内することを、うれ
しく思っていただいたようで、町の著名な方に出会う度に
「皆さん日野から来られた方ですよ」と自慢げに紹介をい
ただきました。

もちろん酒蔵や漆器店もぶらぶらし、お蕎麦屋さんや
郷土料理店でおいしいものもいただきました。


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東北新幹線に乗って帰ります




毎日多くの用事を抱えて、忙しく暮らしていますが、家を
離れることで解放感に浸れました。また、たわいもないこ
とで大笑いできる幼馴染の存在も有難いと思いました。
体が元気な間に楽しまないと‥‥老いるほどしみじみと
・・・です。


追伸 「蒲生氏郷のふるさと「日野」から来ました」と
いうと、会津若松では、間違いなく歓迎していただけ
ます。

漫才師「島田洋七」さんがお寺で講演

漫才ブームの火付け役。
B&Bの爆笑漫才。
ビートたけしと親友。
自費出版の「がばい ばあちゃん」がベストセラーとなり、
映画化される。舞台でも。
現在は講演会がぎっしり予定が詰まっている島田洋七氏が
「本誓寺の春季永代経」の講演会に来られました。
70分間、子供の時のおばあさんとの貧乏暮らしでも楽しか
った話や、いっぱい失敗したけどそれが肥やしになっている
話など、笑いっぱなしの時間でした。
笑うのは健康に良い!楽しい暮らさんと損!と説かれました。



I永代経MG_4385 (1)


ネタいっぱい!次から次へ飛び出してくるくる!
I永代経MG_4385 (3)

楽しい午後を有難う!記念撮影
I永代経MG_4385 (4)


一二三地蔵悲話

滋賀県日野町に小さな黄檗宗のお寺があります。今日はここで護摩法要が
ありました。雨の中、もうもうと煙が立ち上がり、時折赤い火も上がって、読
経の続く中、護摩が放り込まれました。終わりましたら、散らし寿司やお味
噌汁やらいただいて、今日は元気をいただきました。
この浄光寺さんの境内の一角に、「一二三地蔵」さんが祀られています。そ
れには悲しい話があるのです。

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一二三地蔵悲話


滋賀県日野町の河原地区に、淨光寺と言う小さなお寺があります。
そのお寺の門をくぐってすぐ右の隅に優しいお顔をしたお地蔵様がおられます。
このお地蔵様には、大変悲しい物語が秘められています、
昭和一五年十月十一日、日野尋常小学校では、秋の運動会を明日に控えて運動場を整
備する為、六年生の男子生徒は学校から北の方向にあたる河原学林に土を採りに出か
けました。
山の斜面で土を掘る者、それをもっこに載せるもの、かついで学校まで運ぶものと、子ど
もたちは一生懸命勤労奉仕に従いました。学校から土採り場まで、たくさんの子供たち
でつながる程でした。

作業中の空に一機の飛行機が飛んできました。おそらく八日市の飛行場からやってき
たのでしょう。子供たちの上を大きく旋回しました。勇ましい飛行機の姿に作業の手を
休め、それを見る子供たちもいました。

その時、ドスン!ガラガラ!と、土を採り進んでいた山の斜面に 突然地割れが走り
土砂が崩れ落ちてきました。
作業の先頭に立って頑張っていた六人が、その土砂の下敷きになってしまいました。
大量の土砂の下敷きになった子らを、子供たちだけではどうしようもありません。
近くにいた子供たちはすぐに大人を呼びに走りました。そしてすぐ駆けつけた河原
地区の大人たちも子供たちも
手やスコップで必死に土砂を取り除きました。

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埋まってしまった子供たちのうち、三人はすぐに掘り出され軽傷でしたが、二人は
即死でした。
そして一人は翌日、病院で亡くなりました。

それを突然知らされた家族、とりわけ親の悲しみはいかほどのことだったでしょうか。
子供に「目を覚ませ」と大声で呼びかけましたが、目が開くことも「お母さん」と呼び
返すこともありませんでした。

そして十月十四日、小学校では大変多くの人々が参列して学校慰霊祭が執り行
われました。
慰霊祭では亡くなった一人一人に対して弔辞がささげられました。
その一人、同級生の辻 典江さんの弔辞はこんな風に始まりました。

「秋雨は物寂しく降り 校庭の悟桐の葉が 今日一枚一枚と散り落ています。
すべての物が憂色に閉ざされた今日、中田隆一様の棺をお送りし、恭しく哀悼
の言葉を申し上げます。
十月十一日、あの日は何という悪い日だったのでしょう」
そして、同級生との楽しい思い出話が語られた後 結びでは
「五十何名の級友とも別れ、お父様お母様とも別れ、ただ一人寂しくあの世ヘ
旅立たれました。中田サン 貴方は戦場の兵隊さんと同じように小学生として
の仕事に殉じられたのです。
せめても、私たちは中田さんの死を無にせぬよう、勉強に、運動に、励んでき
っと立派な人になります。
中田さん、どうか安らかにお眠り下さい。さようなら」

そして参列者全員が鎮魂歌を歌い、三人の幼い魂を天国へと送りました。

その後、この大惨事を起こした学校ではその責任問題が論議されました。
ところが、子供を亡くした親たち、負傷した親たちは「不幸を涙のうちにも運
命と諦め「恩師を責むる勿れ」と、校長や担任に厳しい処置が及ばないよう
に県に要望をしたのです。

しかしかわいい盛りの子供を亡くした親の無念さは、当然晴れることなどあり
ません。やり場のないその心をなんとかなぐさめようと三人の家族は話し合っ
てお地蔵様を建てることにしました。災難地では余りにも生々しく、また寂しい
所なので近くにあるお寺、淨光寺さんの境内の一角にお地蔵様を建てました。
大きな自然石の上に乗られた優しいお顔をされたお地蔵様です。

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そして翌年から毎年八月二十日には必ず三家族が集まり地蔵盆がとり行わ
れました。その日のお地蔵様の前にはたくさんのお菓子や果物が供えられ
親や弟や妹が和尚さんのお経に合わせて長く手を合わせて 「天国でも三
人が楽しく遊んでいますように」とお祈りしました。
命日には仏壇にしまわれた弔辞を取り出して読み直しては涙を流す親たち
でした。

淨光寺さんの地蔵盆は親が亡くなっても、その弟や妹達の家族に引き継が
れ五十年間一度も欠かされることなく続きました。

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また、小学校では毎年十月十一日の命日には、六年生全員が木津と村井
にある三人のお墓にお参りをしました。それぞれが手にお花を持って学校
からお墓まで長い行列を作って行きました。このお墓参りも二十数年間に
わたって欠かさずに続けられました。

かわいそうなこの子供たちの名前は、中田隆一、中島二郎、吉澤新三と言
います。
三人の名前から、淨光寺に建てられたお地蔵様は「一二三地蔵」と呼ぶよう
になりました。

時が経ち、五十年目の地蔵盆を迎えるころになると、白髪の増えた弟や妹
達だけの寂しい地蔵盆となり、それ以降はお盆の頃、時折線香の煙が上が
る程度となってしまいました。今やもう、そのことを知っている僅かな家族や
すっかり年老いてしまった同級生だけが知る、思い返すのも辛い昔話にな
ってしまいました。

平成元年十月十一日、あの災難の日から数えて五十年目のその日、近在
に住む同級生が声を掛け合って最後の法要を行うことにしました。その日、
淨光寺にはたくさんの同級生が集まり「あの時ああだった、こうだった」と悲
しい思い出を繰り返し話し合いました。
その法要の途中、突然 五十年も前に歌った鎮魂歌が誰からともなくう歌た
われはじめました。
あのことが昨日のことのように思い出されるのでした。
当時、弔辞を読まれた典江さんは日野から離れられましたが、故郷を想いこ
んな短歌(うた)を供えられました。
  残雪の  綿向山に真向いて   幼きままの  友のまぼろし

このような痛ましい事故が二度と起きませんように、子供たちがすくすくとそ
だちますようにとの願いを込めて
「延命一・二・三地蔵」と刻まれた小さな石碑も建てられました。五十五年目
の八月のことでした。

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このお地蔵様にはこのように、その父母や兄弟たちそしてたくさんの同級生
たちによる五十年にわたる切ない祈りが浸み込んでいます。 それでも時の
流れと共に風化し、次第に忘れ去られることになるのでしょうか。
しかし、嬉しいことにこの一二三地蔵さんのすぐ傍に町内の地蔵堂があり、
河原の子供たちの行う地蔵盆には、三人の子供も一緒に仲間にいれても
らっているようです。
淨光寺さんではお盆のころに、境内に祀られている一二三地蔵さんをはじ
め、たくさんの石仏さんを丁重に供養されています。そしてまた、本堂を入
って右側の壁にはお地蔵様の絵が飾られています。かわいそうだった三
人の事を忘れないでほしいと、その家族が奉納したものです。

一二三地蔵イラスト


こうした長きにわたる家族や友達の祈りが伝わったのでしょうか。その絵の
地蔵様の顔には、もう悲しい表情は消えて少し微笑んでおられます。
一二三地蔵さんは、お参りしていただいた方に、早すぎた自分たちの代わ
りに、その分元気で長生きしてほしいと、延命を願ってくださいます。

今でも、この一二三地蔵さんの前に立ちますと三人の幼い子供の悲しい
運命はもちろんですが、
一生深い悲しみを背負い続けた親の気持ちを思うと、どうしようもない切
ない感情がこみ上げてきます。
 
 幾年の   祈り浸み入る 石仏    想いが巡りて  胸ぞ痛む    

      平成十一年二月十八日     一二三地蔵 弟 穣



日野町シルバー人材センター設立20周年

平成9年6月に設立された日野町シルバー人材センター
が、今年で20周年を迎えました。
歴代の理事・職員の努力はもとより、多くの会員さんの他、
関係者の協力と支援により、地域になくてはならない組織
に発展いたしました。
また、業績も順調で、その運営も堅実健全です。
5月28日、200名を超える多くの関係者の出席の下、20
周年記念式典と総会が盛大に開催されました。

 たくさんの会員さんが出席!


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日野祭囃子でオープン
日野を代表するお祭り大好な、お囃子の名人の団体です。



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開会のあいさつ  感謝感謝・多くの方の努力の成果です。



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お得意様に感謝状の贈呈   15年以上の会員さんを表彰 
高齢になってから、さらに15年以上も元気に働く!すごいです!

なんと20年の人!3名おられます。

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来賓の祝辞 シルバー人材センターへの期待・・・

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アトラクションは、日野少年少女合唱団。小さな町なのに日野は
音楽が盛んです。
この合唱団の小学生から中学生の子供たちは、毎週踊りや歌を
練習しています。指導者の熱意も桁外れです。町の人達はこの
子らの歌を楽しみにしています。
子供たちのおかげで素晴らしい式典になりました。

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 総会  事業報告


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会員に配布された記念品・タオル・手袋・ボールペン・付箋
20周年の割には、普通?


高齢化の進む地方の町にとって、ますます増える元気な高
齢者に働き甲斐や生きがいを提供できるようにしていくこと
は、ますます重要になってきます。
また、町内の企業は、労働力不足を補う手段として、シルバ
ー人材センターにも期待をかけているようです。
また、手助けの必要な高齢者を、元気な高齢者が支えると
いう構図も多くなってきています。
これらの期待に応えるために、会員数の増加、受注拡大を
目指してシルバー人材センターは一層の発展をしていかね
ばならないと思います。


健康と安全第一で