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滋賀県日野町の面白い処、楽しい時を紹介、そして私の絵日記
滋賀県日野町の古い歴史や豊かな伝統文化、お祭りや、楽しい出来事などを紹介します。私の町おこしの活動や、趣味の遊びも綴ります。

プロフィール

日渓楽生

Author:日渓楽生
滋賀県の琵琶湖の東、鈴鹿山系にある「綿向山」を仰ぎ見る一帯を日野渓(ひのだに)と言います。美しい自然とともに、歴史や文化の豊かな町や村が広がっています。私はここ日野の暮らしを、多くの人に知ってほしいと思います。そして、この町がもっと楽しく、面白くなるようにと願っています。



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一二三地蔵悲話

滋賀県日野町に小さな黄檗宗のお寺があります。今日はここで護摩法要が
ありました。雨の中、もうもうと煙が立ち上がり、時折赤い火も上がって、読
経の続く中、護摩が放り込まれました。終わりましたら、散らし寿司やお味
噌汁やらいただいて、今日は元気をいただきました。
この浄光寺さんの境内の一角に、「一二三地蔵」さんが祀られています。そ
れには悲しい話があるのです。

IMG_4265.jpg

一二三地蔵悲話


滋賀県日野町の河原地区に、淨光寺と言う小さなお寺があります。
そのお寺の門をくぐってすぐ右の隅に優しいお顔をしたお地蔵様がおられます。
このお地蔵様には、大変悲しい物語が秘められています、
昭和一五年十月十一日、日野尋常小学校では、秋の運動会を明日に控えて運動場を整
備する為、六年生の男子生徒は学校から北の方向にあたる河原学林に土を採りに出か
けました。
山の斜面で土を掘る者、それをもっこに載せるもの、かついで学校まで運ぶものと、子ど
もたちは一生懸命勤労奉仕に従いました。学校から土採り場まで、たくさんの子供たち
でつながる程でした。

作業中の空に一機の飛行機が飛んできました。おそらく八日市の飛行場からやってき
たのでしょう。子供たちの上を大きく旋回しました。勇ましい飛行機の姿に作業の手を
休め、それを見る子供たちもいました。

その時、ドスン!ガラガラ!と、土を採り進んでいた山の斜面に 突然地割れが走り
土砂が崩れ落ちてきました。
作業の先頭に立って頑張っていた六人が、その土砂の下敷きになってしまいました。
大量の土砂の下敷きになった子らを、子供たちだけではどうしようもありません。
近くにいた子供たちはすぐに大人を呼びに走りました。そしてすぐ駆けつけた河原
地区の大人たちも子供たちも
手やスコップで必死に土砂を取り除きました。

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埋まってしまった子供たちのうち、三人はすぐに掘り出され軽傷でしたが、二人は
即死でした。
そして一人は翌日、病院で亡くなりました。

それを突然知らされた家族、とりわけ親の悲しみはいかほどのことだったでしょうか。
子供に「目を覚ませ」と大声で呼びかけましたが、目が開くことも「お母さん」と呼び
返すこともありませんでした。

そして十月十四日、小学校では大変多くの人々が参列して学校慰霊祭が執り行
われました。
慰霊祭では亡くなった一人一人に対して弔辞がささげられました。
その一人、同級生の辻 典江さんの弔辞はこんな風に始まりました。

「秋雨は物寂しく降り 校庭の悟桐の葉が 今日一枚一枚と散り落ています。
すべての物が憂色に閉ざされた今日、中田隆一様の棺をお送りし、恭しく哀悼
の言葉を申し上げます。
十月十一日、あの日は何という悪い日だったのでしょう」
そして、同級生との楽しい思い出話が語られた後 結びでは
「五十何名の級友とも別れ、お父様お母様とも別れ、ただ一人寂しくあの世ヘ
旅立たれました。中田サン 貴方は戦場の兵隊さんと同じように小学生として
の仕事に殉じられたのです。
せめても、私たちは中田さんの死を無にせぬよう、勉強に、運動に、励んでき
っと立派な人になります。
中田さん、どうか安らかにお眠り下さい。さようなら」

そして参列者全員が鎮魂歌を歌い、三人の幼い魂を天国へと送りました。

その後、この大惨事を起こした学校ではその責任問題が論議されました。
ところが、子供を亡くした親たち、負傷した親たちは「不幸を涙のうちにも運
命と諦め「恩師を責むる勿れ」と、校長や担任に厳しい処置が及ばないよう
に県に要望をしたのです。

しかしかわいい盛りの子供を亡くした親の無念さは、当然晴れることなどあり
ません。やり場のないその心をなんとかなぐさめようと三人の家族は話し合っ
てお地蔵様を建てることにしました。災難地では余りにも生々しく、また寂しい
所なので近くにあるお寺、淨光寺さんの境内の一角にお地蔵様を建てました。
大きな自然石の上に乗られた優しいお顔をされたお地蔵様です。

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そして翌年から毎年八月二十日には必ず三家族が集まり地蔵盆がとり行わ
れました。その日のお地蔵様の前にはたくさんのお菓子や果物が供えられ
親や弟や妹が和尚さんのお経に合わせて長く手を合わせて 「天国でも三
人が楽しく遊んでいますように」とお祈りしました。
命日には仏壇にしまわれた弔辞を取り出して読み直しては涙を流す親たち
でした。

淨光寺さんの地蔵盆は親が亡くなっても、その弟や妹達の家族に引き継が
れ五十年間一度も欠かされることなく続きました。

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また、小学校では毎年十月十一日の命日には、六年生全員が木津と村井
にある三人のお墓にお参りをしました。それぞれが手にお花を持って学校
からお墓まで長い行列を作って行きました。このお墓参りも二十数年間に
わたって欠かさずに続けられました。

かわいそうなこの子供たちの名前は、中田隆一、中島二郎、吉澤新三と言
います。
三人の名前から、淨光寺に建てられたお地蔵様は「一二三地蔵」と呼ぶよう
になりました。

時が経ち、五十年目の地蔵盆を迎えるころになると、白髪の増えた弟や妹
達だけの寂しい地蔵盆となり、それ以降はお盆の頃、時折線香の煙が上が
る程度となってしまいました。今やもう、そのことを知っている僅かな家族や
すっかり年老いてしまった同級生だけが知る、思い返すのも辛い昔話にな
ってしまいました。

平成元年十月十一日、あの災難の日から数えて五十年目のその日、近在
に住む同級生が声を掛け合って最後の法要を行うことにしました。その日、
淨光寺にはたくさんの同級生が集まり「あの時ああだった、こうだった」と悲
しい思い出を繰り返し話し合いました。
その法要の途中、突然 五十年も前に歌った鎮魂歌が誰からともなくう歌た
われはじめました。
あのことが昨日のことのように思い出されるのでした。
当時、弔辞を読まれた典江さんは日野から離れられましたが、故郷を想いこ
んな短歌(うた)を供えられました。
  残雪の  綿向山に真向いて   幼きままの  友のまぼろし

このような痛ましい事故が二度と起きませんように、子供たちがすくすくとそ
だちますようにとの願いを込めて
「延命一・二・三地蔵」と刻まれた小さな石碑も建てられました。五十五年目
の八月のことでした。

IMG_4245.jpg


このお地蔵様にはこのように、その父母や兄弟たちそしてたくさんの同級生
たちによる五十年にわたる切ない祈りが浸み込んでいます。 それでも時の
流れと共に風化し、次第に忘れ去られることになるのでしょうか。
しかし、嬉しいことにこの一二三地蔵さんのすぐ傍に町内の地蔵堂があり、
河原の子供たちの行う地蔵盆には、三人の子供も一緒に仲間にいれても
らっているようです。
淨光寺さんではお盆のころに、境内に祀られている一二三地蔵さんをはじ
め、たくさんの石仏さんを丁重に供養されています。そしてまた、本堂を入
って右側の壁にはお地蔵様の絵が飾られています。かわいそうだった三
人の事を忘れないでほしいと、その家族が奉納したものです。

一二三地蔵イラスト


こうした長きにわたる家族や友達の祈りが伝わったのでしょうか。その絵の
地蔵様の顔には、もう悲しい表情は消えて少し微笑んでおられます。
一二三地蔵さんは、お参りしていただいた方に、早すぎた自分たちの代わ
りに、その分元気で長生きしてほしいと、延命を願ってくださいます。

今でも、この一二三地蔵さんの前に立ちますと三人の幼い子供の悲しい
運命はもちろんですが、
一生深い悲しみを背負い続けた親の気持ちを思うと、どうしようもない切
ない感情がこみ上げてきます。
 
 幾年の   祈り浸み入る 石仏    想いが巡りて  胸ぞ痛む    

      平成十一年二月十八日     一二三地蔵 弟 穣


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雨も上がって、快調に進む日野祭り!

半分あきらめていた雨の祭りが、一転して「雨上がりの
好天気」に転じました。
5月3日早朝4時に起きて、心配な空を見上げると曇り空・・・。
西の方から風に乗って太鼓の音が聞こえてきます。
すでに祭りは始まっていました。
1年で最も長い一日です。


5月2日の西之宮祭りは雨でした。小雨の中で神輿の
お渡りが・・・。明日はどうでしょう。

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5月3日、雨が上がって、祭りがスタート!祭りの
先達の3人の神子さんが我が家で休憩です。早朝より
身支度を整えて、長い道中を歩かれるので、小学1年
生の子供にとっては大変な役目です。

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神子3人を護衛する神調社の行列 この祭りの先導役です。
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新町の曳山が、神社の手前で休憩します。大型クーラー
ボックス2杯に、ビールにジュース・・・・

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曳山の「はな警固」の役は、一人は芝田楽の神調社へ、
もう一人は社務所に行って宮入のあいさつをします。
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今年のダシは、熊野に伝わる弓神事にまつわる大蛇
退治の伝説です。出来栄え最高!

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祭の料理が並びました。鯛素麺、お刺身の盛り合わせ、
お肉とサラダ、ウナギ、鳥肉のから揚げ、田楽、なすと
グジの炊きもの、エビと野菜の天ぷら、大きなダシ巻き
たまご、わらびの炊いたん,巻き寿司・押し寿司・にぎり
寿司・・・・普段は食べることのない御馳走 そしてたく
さんの量。今年は28名の来客
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さじき窓は爺爺と孫の遊び場です。
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さじき窓から見るお神輿
スナップショット 1 (2018-05-04 7-03)



さじき窓から見る曳山の巡行
スナップショット 1 (2018-05-04 5-21)



いよいよ祭りの終盤!曳山に提灯の明かりがともされて、
帰る順番待ちです。
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ゆらり、ゆらりと提灯が揺れて、曳山が帰ります。今日は
楽しかった・・・もう祭りもおしまいです。
スナップショット 2 (2018-05-04 5-16)


小さな子供にとっては一生忘れられない思い出の
一日になります。

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そして4日には、我が家に可愛いいお客さんがあります。
昨日のお祭りの主役の神子さ3人が、お礼の挨拶に来ら
れます。黒の紋付の羽織着物に白足袋下駄の姿です。
凛々しくてそして可愛い!です


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